2008-04-21 第169回国会 衆議院 決算行政監視委員会第二分科会 第1号
私も、あちこちに姉妹友好都市などがありましておつき合いをしておりましたし、この間、山口県の中国山脈のところにある限界集落にも行ってまいりました。ここは、四戸しかないという集落で、もう本当に大変だったですけれども。
私も、あちこちに姉妹友好都市などがありましておつき合いをしておりましたし、この間、山口県の中国山脈のところにある限界集落にも行ってまいりました。ここは、四戸しかないという集落で、もう本当に大変だったですけれども。
やっぱり中国山脈、中国山地というんでしょうか、優しい、とげとげしくない。 考えてみたら、薩摩と長州と土佐と薩長土肥で明治維新をやって、どうして土佐だけこんなに遅れてしまったのかなと。山登りますと、ずっと一般国道から主要地方道に入って、それから村道、林道と、こう行くんですけれども、あの当時からきれいに舗装されておって、うらやましいなと思ったことがあります。これはちょっと余談であります。
戦後六十年たちましたけれども、私たちが小さいときは、私自身は中国山脈の山の中の四反三畝の百姓の息子ですけれども、こうして現在があるのは、そういう格差がないから、あるいは多少あったとしても小さな格差だから乗り越えて今日を迎えることができたんだろうとつくづくと思うわけで、それだけに、今言われたように格差の問題は非常に大きな問題だろうと思いますので、格差是正のために頑張っていきたいと思っています。
○公述人(片山善博君) それで、鉄を使えばオーストラリアの鉱山労働者の所得になる、木を使えば我が県の中国山脈の中山間地の森林労働者の所得になるという考え方で、木を使いましょう、もっと気も遣いましょうということで始めたんですね。やっぱり高いんです。
あそこは中国山脈が迫っておりまして、海のところも、実は国道ですけれども一車線道路しかない。南に行けば行くほど寒い地域になっていく。そんな中で、大きな川があるわけではありませんから河川を利用することもない、交通はもう道路に頼らざるを得ないということを実感してまいりました。
特に、これは中国山脈を私は歩いて痛感したのでありますが、生き残ったところは押しなべて加工をやっております。そしてまた、消費者団体なんかと結んで流通もやっております。加工をやりますと、専業と兼業の分離関係というのがなくなっていって、全体がぐるみになってやれるという状況が生まれてきます。
そしてその後、岡山県警本部長になられてからは、若い警察官や機動隊員などに年末になると県下の老人ホームの慰問に回らせ、白バイの皆さんには、道で困っている人や車に援助の手を差し伸べるのが第一の任務であると、中国山脈の田舎の駐在さんには、少なくとも月一回、自分の管内でひとりぼっちの老人、孤児や、それから生活保護の世帯を回ってほしいというような励ましの言葉をかけられたということだそうです。
確かに、今伊藤参事官がおっしゃったように、中国地方は中国山脈を抱え、大変山がちな地域でありますので、ほかの地方のいろいろな装備と比べてこの地方独特のものがこれからは地域性を生かして必要だなというふうに考えております。 聞くところによりますと、大型の四輪駆動の新しい自動車をたくさん購入されるとか、そういうふうな話も聞いております。そのあたりも含めてお尋ねをいたします。
○亀井国務大臣 私は、一万円払っているのに二千六百円しか返ってこない、私の中国山脈の山の中は一万円で一万四千円返ってうらやましいなということであれば、委員、庄原に移ってくださいとまでは申しませんけれども、やはりこれは自治体の財政力、こんなこともう釈迦に説法ですね、違いもあるわけでありまして、もっと言えば、東京や神奈川の豊かさが神奈川や東京だけの力でできているかというと、やはりそうではないということがあると
その中で人口がどのように移動していったのか、あるいはその中で社会資本がどのように投下されたのかというのは、ある意味で、中国山脈、これで切って日本海圏と瀬戸内ということを比較していただくような手法を持っていただくことが一番理解されやすい。
というふうに言っておりまして、今先生が御指摘のように、中国山脈を挟んで両岸は気候、風土等においてかなり異なっているというふうに考えられますので、気候、風土等のもろもろの条件において共通性を有するところが地域の連なりをつくっていくというふうな考え方を出しております。
中国山脈という筋を通っておる内陸部がありますが、そういったところと我々のところでは随分と格差が出ているんですよ。隣の広島県だってそうですよね。そういうことをずっと考えていきますと、内陸部と東北、北陸、北海道というような積雪寒冷の厳しい地域について、それでは何かの別途の方法を考えるかということが別にあるとすれば、それはまた別ですよ。
○岩本久人君 中国五県という広いところを考えた場合、中国山脈を渡るだけでも大変なんですね。わずか三名と。 私は、前回のこの委員会でも、とにかく山梨型利権構造、つまり、公共事業の発注者でもないのにおのれを天だと称して一方的にゼネコンに対して指名をし決めつける、そして受託業者からは三%五%のリベートを巻き上げる、これは山梨でなくて本家は島根県だと。
他方、中国山脈を越えて日本海岸側になりますと過疎がまさに進行し、格差は歴然としていると言って過言ではございません。その但馬地方というのは入口が約二十一万、十八町と、それに古くから中核都市として人口四万八千の豊岡市が存在をしているのであります。しかし、大都市集中の波の中で、中核都市としての活力が失われ、今では人材供給地域、こういうことになっているのではないかと思います。
御案内のとおり兵庫県というのは大別して日本海側と瀬戸内側、中国山脈で随分気象条件も異なり、分かれているわけでございます。そして兵庫北部というのは気象の変化の激しいところであります。御案内のとおり一九九〇年の秋雨前線並びに十九号台風、このときにも非常に災害に弱い地域、こういうふうに言って差し支えないと思っています。
中国山脈はそれを切っている。一つでいいということでお考えになるならば、府県単位でということでお考えになるならば、鳥取県も岡山県も一つでいいじゃないか、島根県も広島県もいいじゃないか、こういうことになるのですが、そうじゃないでしょう。
この塩害は随分ひどいものでございまして、中国電力の報告によりますと、中国山脈のふもとまでこの塩害が及んでおるわけでございます。したがって、中電といたしましても、消防車などが出動をしてその放水によるところの塩分の取り除き、そうしたことをしたわけでございますが、結局はぞうきんがけによって一つ一つの碍子をふく以外にこの塩害の除去はできない、こういうことでございます。
今小川先生おっしゃるように、山口県の例えば申しましても瀬戸内側は、工場のまずベルト地帯としてかなりの人口がそのまま維持されておりますけれども、山口県も小川先生の方の地域であります日本海沿線あるいは玄界灘に面する線、こういったところは非常な減少、あるいは中国山脈の屋根とも言われるべき地域は非常な減少状況にあるということは、確かに私は一つの大きな問題であると思っております。
これは一九五〇年代の後半に、日本の中でウランが出るということはゴールドラッシュのように一つのブームでありまして、鳥取県と岡山県の境にあります中国山脈の花崗岩の母岩の中に発見された。その当時は、経過があって、今の動燃の前身であります原子燃料公社が探鉱をして採掘されたんです。
それから、そういう離着陸訓練以外の訓練をいたしますときには、人家密集地を極力避けまして海上あるいは中国山脈の上の方の山岳地帯でやるとか、そういうことをいたしております。それから、夜間飛行の訓練でございますけれども、これは月に四、五回程度やっておりますが、おおむね日没から一時間程度やらせていただいておりますけれども、訓練を実施する際には、防府市の企画調整部企画課に事前に通知をいたしております。
私の町は、鳥取県の最西南端、岡山、広島、島根の三県に境を接する中国山脈真っただ中の町でございます。我が国の文豪井上靖先生が本町に建てられた文学碑の中に「ここ中国山脈の稜線 天体の植民地 風雨順時 五穀豊穣 夜毎の星闌干たり 四季を問わず凜々たる秀氣渡る ああここ中国山脈の稜線 天体の植民地」とおっしゃいました。
そこで、最後にお尋ねをしておきたいのですが、これは委員派遣のときにも広島県の知事さんにお尋ねしたことがあるのですが、特に中国山脈は花崗岩がしっかり中にあって、今その風化がされておって、あそこの山の土、表土だろうと思うのですが、マサ土といいまして、非常にざらざらっとしたもろい土に覆われているという状況です。